2024年7月30日火曜日

忌明けに思う事

 今日はご家族で忌明けの法要をされると聞きました。

私の中に残っている彼女の思い出は沢山有りすぎるほど有りますが、此方も歳なので少し記憶に有ることを書き留めて置く事で忌明けのお詣りに替えさせて頂き、それも供養かと思うようになりました。


かといって何を❓❓

兎に角、彼女の「衣食住」全てに置いてのワンランク上の好みとセンスには、何時も勉強させて貰い又、憧れの存在でした!✴️

おしゃれに関するセンスは品が良く一つ一つの取り合わせが抜群で、語弊は有りますが私の廻りの誰よりもピカ一だと思っています!✴️

子供の頃から大徳寺の「石州流」の家元で茶道を修めておられたことから、その方面のお話にも多くの共通点が有り、楽しい時間を共有していました。

何時も一組のご夫婦と4人グループで、城崎温泉、有馬温泉や湯村温泉、万座温泉、軽井沢、岡山倉敷などの旅行や

京都府内では亀岡のけぶり川温泉など、滋賀県や嵐山など何処でも車で気軽に連れていって下さいました!✴️

中でも、二人で行った金沢の旅行の記憶は鮮明に思い出されます❗

サンダーバードに乗り、兼六園の茶室「時雨亭」で飲んだお抹茶、茶屋町を行ったり来たりお店を覗き「これ良いね❗あれも、あれも❗」とウインドウショッピングを楽しみ、

休憩に入った「森八」の茶寮、その二階からは「大樋焼き」の窯元が見えて、二人で見に行った所どれも、とても気に入った物の、余りに高価で湯飲みすら買えずに諦めた事などが思い出されます。

もう一度行こうと言いながらその機会は有りませんでした!

では何時からお付き合いが始まったのか?

彼女は私の主人を知らない! もう亡くなっていたから35~40才の間?

その頃子供の地蔵盆が盛んで、その役を一緒にしたことから、話すようになり、その後私の洋裁教室に来られ、それ以来とても親しくしてもらったと記憶しています。

今までに私の病院入院時や骨折して通院しなければならない時など幾度と無くどれ程お世話になったか解りません。

とても良く気が付かれて、彼女から病院、買い物、など「乗せていってあげるよ」と、此方の思いを先に察しては誘ってくださいました。

家が近所で「美味しいものは半分こ❗」とお互いの家を行ったり来たり、珍しい物や、日常のおかずに至るまで、彼女はお料理が上手で味付けもお互いの好みが合って、お陰で有意義な日々を過ごさせて頂きました❤️

そして時間が有ればお茶に誘ったり誘われたりで「遠くの親戚より近くの他人」その言葉がピッタリの関係を長くつづけて貰いました❗

お互いに一人っ子と言うことでも気が合いました❗

病気が発覚してお医者さんの予告の三年間丁度!

苦しいときもずっと平常心を装い最後まで彼女らしく見事に生き切られました‼️

今はご冥福をお祈りして私も段々と思いに区切りを付けて行けたらと思っています❗


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